楢山節考
◆人は生きている意味を感じなくなれば自殺を考える様になるのでしょう。カトリックの国オランダで安楽死が法制化されようとしているそうですが、老人の貧困や格差が広がるばかりの日本もいずれそうなるかも・・・・
老人に安楽死権を 福祉大国オランダが目指す危うい道 欧州に「姥捨て」が復活する日
長寿の時代、「いかに死ぬか」は難しい。日本では自殺者の4人に1人が70歳以上の高齢者だ。老衰で動かなくなる体、家族の死、老老介護の疲れ、将来への不安。無残な死に追い込まれる人がなんと多いことか。こんな高齢者に「安楽死させてあげましょう」という国がある。欧州の福祉大国オランダだ。
10月12日、保健福祉相と法相が連名で国会に書簡を送り、「人生は終わった。尊厳を持って死にたい」という高齢者の要求に応じるため、安楽死法の改正を提案した。同法は2002年、オランダが国として世界で初めて施行した。今回は法の枠を広げ、生命の自己決定権尊重の立場から「高齢者が安らかに自殺する権利」を認めようというのだ。
政府が動く発端となったのは、昨年5月、「死にたい」と訴えた99歳の母を死なせた元団体職員に無罪判決が言い渡されたことだ。

彼はアルベルト・ヘリンハという。私は3年前、裁判のさなかに取材した。今回の政府提案について電話で意見を聞くと、「大きな一歩です」という返事が返ってきた。現在、74歳。初めて会ったときと変わらず、口調は明るい。「母親殺し」という陰惨な事件の被告とは思えない穏やかな人柄に驚いたものだ。
アルベルトさんは08年、母親に抗マラリア薬、鎮痛剤などを調合した致死薬を飲ませ、その過程をビデオに収めた。国内のテレビ局が衝撃の映像を公表すると、彼は自殺ほう助罪で起訴された。「自分の意思で人生を完了させる権利を認めよ」と法廷で訴える姿に共感が広がり、法改正を求める11万人の署名運動に発展した。私が訪れた自宅は吹き抜けのある大きな家で、死なせた原因が生活苦でないことは一目瞭然だった。
母親は40代の時、一人でアフリカを放浪旅行するほど活動的な女性だったという。夫と死別後、高齢者ホームで暮らしていた。高齢者の9割以上が夫婦か一人で暮らすオランダでは普通のことだ。年とともに歩行が衰え、物忘れが進むと、「一日中、自室でぼんやりしながら、他人に介護してもらうだけの日々に耐えられない。死にたい」と訴えるようになった。病気ではなかったので、医師は当然ながら安楽死を拒否した。
アルベルトさんはアルバムをめくり、「家族みんなで『私たちのために生きて』と説得しましたが、突っぱねられました。ある日、母が睡眠薬を引き出しにため込み、自殺の用意をしているのを知った。『失敗したら苦しむ。いっそ楽に死なせてやろう』と決意しました」と回想した。
致死薬をヨーグルトに混ぜて渡すと、母は椀(わん)をむさぼるようにたいらげた。ビデオの中で、彼女が笑みをうかべてベッドに横たわる姿が印象的だった。裁判所が無罪としたのは、「自殺ほう助を禁じた刑法の遵守」と「母に安らかな死を迎えさせる道徳的責任」の相反する二つの義務の狭間(はざま)でとったやむを得ない行為だと認めたからだ。
電話で彼は言った。「国内には『高齢者の自殺を認める前に、福祉充実を考えろ』という批判もある。もっともな意見です。でも私は、生命の決定権は本人にあることをまず法が明記すべきだと思う。75歳になれば何が必要かを決められる経験や分別があるでしょう」。
オランダで安楽死は1994年、法に抜け穴を設ける形で容認された。昨年の安楽死者は5516人で、死者25人に1人の割合。小学生が「今日はおじいちゃんが安楽死するから」と言って学校を早退するのはごく普通のことだ。法は、(1)患者に耐え難い苦痛がある(2)治癒の見込みがない(3)患者が自発的に希望した-などの要件を満たせば医師は死なせてよい、と定める。決定権は医師にある。
ここでいう安楽死とは、致死薬を注射するか、患者本人に飲ませるかして即死させることだ。人工呼吸器を外したり、鎮痛剤の投与で死期を早めたりする行為は日本では「尊厳死」と呼ばれるが、安楽死の範疇(はんちゅう)には入らない。
安楽死の要件である「耐え難い苦痛」の範囲は過去20年余でじわじわ広がり、末期患者の肉体的なつらさだけでなく、痴呆や精神障害にも適用されるようになった。政府提案の背景には、アルベルトさんの母のように年相応に健康で医師に安楽死要求を拒否されても、「意識がはっきりしているうちに、自分の意思で死にたい」と訴えて自殺する高齢者が相次いでいることがある。医師に抗議して、絶食死する人すらいる。
オランダ人のあくなき「個人の自由」の追求は歴史に根ざす。17世紀、カトリックの絶対王政に抵抗して共和国として独立した。
教会や君主の権威とは無縁の自由な貿易国家として未曽有の繁栄を築いた。第二次大戦後は、欧州屈指の高福祉を実現した。
介護保険の発祥地でもある。私が取材したオランダ人医師は、「安楽死は、貧富の差で治療が決まる国ではやってはいけない。われわれは平等で高度な医療と福祉を実現した。個人主義も徹底する。だから、可能なのだ」と制度を誇った。
欧州で安楽死容認の動きは広がりつつある。オランダに続いてベルギー、ルクセンブルクが安楽死法を施行。スイスでは民間団体による自殺ほう助が容認され、英国やドイツから死を求めてやってくる「安楽死ツーリスト」が後を絶たない。ベルギーは14年、未成年者にも安楽死を認めた。
日本人なら「死にたいなら、勝手に自殺すればよい」と思うだろう。だが、欧州で「死ぬ権利」運動は、宗教や国家の権威、医療から個人の自由を取り戻す人権運動だと位置付けられている。
一方、高齢化の進展で、各国は社会保障の見直しを迫られている。安楽死の前提となる高福祉の維持は難しくなってきた。何より、自殺容認は「輝きを失った人生」は生きるに値しないという価値観を広げることにならないだろうか。
アルベルトさんはかつて今村昌平監督の映画「楢山節考」を見て、「毅然(きぜん)として死を迎える母親の姿に心を揺さぶられた」という。欧州の福祉大国で「姥捨て」は復活するのか。オランダ政府は来年、法案を国会に提出する予定だ。
(外信部編集委員)
http://www.sankei.com/premium/news/161031/prm1610310002-n1.html

◆オランダに姥捨てと云う風習があったと聞いたことがありません。これを復活と云うのはちょっと変ですね。中世のカトリック国では自殺すると葬式も埋葬もしてもらえなかったそうですが、日本の姥捨てに注目が集まるとは、世の中時代と共に変わるものですね。
▼人間って切ない生き物だニャア~

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