大日本帝国の光芒
◆11月も今日で終わり、明日から師走。12月といえば1941年12月8日は日本が300人委員会のF・ルーズベルト米国大統領の罠に嵌って太平洋戦争に引きずり込まれた真珠湾攻撃の日です。

◆米国では「リメンバー・パールハーバー」とメモリアルディになっています。「日本が宣戦布告もなく、いきなり真珠湾を奇襲して攻撃し、米国人3000人が死に艦船に多大な被害を与えた。日本人は卑怯だ。戦争責任は日本にある」というのが米国人の常識で、日本人の多くもそう教えられています。
◆しかし、アメリカが2000年5月に明らかにした記録文書から、まったく新しい真珠湾攻撃の真相が明らかになりました。
実は日本の暗号がすべてアメリカに筒抜けで、アメリカは事前に「奇襲」を知っていたのです。ルーズベルトは日本に真珠湾を奇襲させるために現場の指揮官にさえ知らせず機密にしていたのです。
◆米国は山本五十六海軍大将が1941年の7月から真珠湾攻撃までの間に出した行動指令をすべて傍受し解読、日本の外務省が使っていたパープル(紫)暗号や津暗号といった極秘暗号も、すべて解読されていました。
日本の情報は軍事作戦も、外交上の重要機密も、すべてアメリカに筒抜けだったのです。
そして、それらの解読文すべてをルーズベルトは知っていたのです。
◆1929年に米国で株価が暴落して大恐慌が起き、経済が壊滅状態になり、もの1200万人という失業者が溢れ出します。その恐慌が世界中を巻き込んで行きます。そのころヨーロッパでヒットラーとナチスが台頭、イギリス・フランス・アメリカ合衆国 とがにらみ合いを続けるなか、ルーズベルトは戦争を起こして景気を回復させようと考えていましたが、米国民は内むきになっていてヨーロッパの戦争に関わる必要はないという空気が蔓延していました。
◆そういう米国内の空気を一変させるためにルーズベルトと英国のチャーチルが考え出したのが、日本に経済制裁を課し、石油や鉄というような必需品の輸出を禁じたのです。油の一滴は血の一滴といわれるほど貴重な物資だった石油を絶たれると、資源のない日本は干上がります。日本政府は何度も何度も経済制裁を解くよう米国に要請しましたが聞き入れられず、満州の権益を手放せとか、ありとあらゆる嫌がらせを続けたのです。
◆これが原因で日本の軍部が反発、日本全体に主戦論が広がっていきます。
山チャーチルとルーズベルトは一ヶ月前から日本が攻撃を仕掛けてくるよう、罠を仕掛けて待っていたのです。戦争を始めるよう日本を追い込んだのはアメリカで、 山本五十六が作戦通り真珠湾を攻撃して、大勢の犠牲者が出れば、内向きの米国人が一斉に激怒して主戦論が沸き起こり、開戦の機運へ持ち込めるという企てだったのです。
日本の情報は軍事作戦も、外交上の重要機密も盗聴され、すべてアメリカに筒抜けで、そしてすべての暗号解読文にルーズベルトは目を通していました。
◆戦前の日本は米国の恐慌の煽りを受けて昭和恐慌が起き1930年(昭和5年)から翌年の1931年(昭和6年)には戦前で最も深刻な恐慌が起き、農村部では婦女子の人身売買など深刻な社会問題が起きています。その時代のカラーフィルムが残っています。戦争が起きる11年前ですが、一見するとあまり深刻な印象はなく、待ちゆく人々の姿も極めてゆとりがあって裕福に見えます。富裕層だけを狙ったのでしょう。日本にはまだカラー映画はありませんでしたので、日本の機密を盗むため英米のスパイが撮影したものと思われます。
Japan of the 1930's_1 color film
Japan of the 1930's_2 color film
◆この作品は、中流家庭の家父長制度の一端がうかがえます。
Life in prewar Japan 1932
◆しかし30年代の日本の風雅な暮らしは1941年(昭和16年)12月8日を境に悲惨な坂道を転げ落ちていきます。日本かく戦えりという戦争の記録です。このドキュメンタリーは日本兵や民間人のオリジナル文章や日記を集めて作られています。淡々と英語のナレーションがついており、日本の戦争は無実であると語られています。少し長いですが戦前、戦中、戦後の流れがよくわかります。
Japan's War in Colour (Complete Documentary)
▼それにしても、無謀な戦争をしたものだニャア・・・・

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