安倍談話・自虐史観から抜け出せるか?
◆今日9日は長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が行われました。

長崎原爆被災から70周年、11時に投下された原爆で一瞬にして7万4千人が死亡、7万5千人の重軽症者を出しています。

6日の広島原爆ではその倍、14万人の犠牲者を出しています。広島長崎以外の地域で、TVが通行人に「今日が何の日?」とマイクを向けても5人に4人は頭をひねるばかりで答えられませんでした。原爆被害の記憶は風化するばかりです。

◆当時米軍は東京、名古屋、大阪をはじめ日本全国に焼夷弾の絨毯爆撃を加え焼け野原にしましたが、広島と長崎には手をつけず、二つの種類の原爆の威力を比較するための実験用として残していたのです。原爆投下後米軍は、両現地を立ち入り禁止にして綿密な被害調査をして膨大な資料を収集し、放射能が人体にどういう影響をもたらすか、焼けただれた人体のサンプルなどを持ち帰り研究しています。
◆この実験はソ連に米国の優位性を示して、牽制する目的もあったと言われていますが、当時の米国大統領トルーマンは黄色人種の日本人などジェノサイドしても一向に構わないと思っていたのは間違いありません。これこそ白人の独善と傲慢です。

◆悪魔のような行いを恥じることなく「広島、長崎への原爆投下は戦争を早期終結させるためであり、これ以上米兵の犠牲者をださないための正しい決断だった。あのまま戦争が長引けば200万人の米兵が犠牲になっていたであろう」などと嘘をつき、米国人の大半は今でもその嘘を信じています。
◆広島・長崎への原爆投下より前に、米空軍の焦土化作戦と言うのがあります。東京や大阪、名古屋等の大都市を焼き払った後は、富山市や郡山市などの地方の中小都市[までが対象して焼き払うのです。その指揮を執ったのがカーチス・ルメイという将軍でした。

◆彼は非戦闘地域である大都市の中心部は愚か一般市民の住宅地を集中的に爆撃し100万人もの人々を焼き殺しています。国際法無視のこの空襲は日本国民を震え上がらせ、日本側から「鬼畜ルメイ」「皆殺しのルメイ」と仇名された冷酷無比な奴でした。後に彼はこう言ったそうです。「この戦争に我々は勝利したから好かったのだ、女子供を無差別に爆撃したのだ、我々が負けていたら無事ではすまなかっただろう」と回顧しています。





◆ところが信じられないことに、1964年112月4日、日本政府は閣議で来日中のカーチス・ルメイ将軍に勲一等旭日大綬章を贈ることを決め、同六日、当時の浦茂航空幕僚長が人間〈イルマ〉基地を訪れて授与しているのです。航空自衛隊の育成に功績があった、というのがその理由だそうです。

◆「夜間無差別焼夷弾爆撃」によって、無防備な民間人を殺傷したルメイは、朝鮮戦争においても、北朝鮮に対する無差別爆撃で、200万人ともいわれる人々を殺傷し、キューバ危機では、人類を核戦争の瀬戸際に立たせた鬼畜のような男です。そのような悪魔になぜ、勲一等旭日大綬章を贈らなければならなかったのでしょうか。これは信じがたいことですが、厳然たる事実です。
◆評論家の竹村健一氏は「日本の常識は、世界の非常識」と言うフレーズをよく使っていましが、これには同感です。日本の有識者、学識経験者と言われる人々を見ていると本当に理屈に合わない提言ばかりしています。
◆カーチス・ルメイに勲一等旭日大綬章を贈ったのは、日本は全て焼き払われ大量の同胞を失ったが、決して米国に恨みなど持っていないし、むしろ感謝しているのだという意思表示であり、米国へ媚を売って政権の安定を図ろうという保身が見え隠れします。当時の総理は確か佐藤栄作、現安倍晋三氏の大伯父です。

◆親に虐待されている子供は、親を恨んだり憎んだりするのではなく、むしろ積極的に愛されたいと親に纏わりつく傾向があります。すると親は更にこの子を疎んじるという悪循環にはまります。これは自虐行為ですが、ルメイに勲章を贈ったころから日本の自虐史観米国追従は始まったのかもしれません。
自虐史観で固まった有識者懇談会
◆安倍首相の「戦後70年談話」の内容を検討した有識者懇談会がまとめた報告書が提出されました。この報告書の結論は先の大戦をめぐり、日本が「侵略」を拡大して「無謀な戦争」を行ったと位置付け、その「侵略」に「痛切な反省」の文言を織り込むことを提言しています。この報告書作成には16人の委員が係わり、16人中14人が侵略を明記し、中韓との和解に努力をするよう提言しています。
◆そして、こともあろうに中曽根康弘大勲位までも読売新聞に寄稿し、アジアとの戦争は「侵略戦争」であったと認め「やるべからざる戦争であり、誤った戦争」と総括しています。7日、朝刊の社説にも「首相も侵略を明確にみとめよ」「過去への反省と謝罪が欠かせぬ」などと朝日と見まごう見出しが躍っています。

◆中曽根は政界の風見鶏という仇名が付けられていましたが、その時々の風を読むのが得意であり、親米と親中を使い分けてきた政治家ですから、いずれにしても自虐史観を外交の基本においてきたことは間違いありません。
中曽根は総理大臣のおり、自分が指名した藤尾正行文部大臣が中曽根の自虐史観転換を批判する発言を雑誌に寄稿して罷免しています。親日家の中国の友人胡耀邦の立場に遠慮して恒例の靖国参拝を突然中止しましたが、それ以来、靖国が中国共産党の日本攻撃の材料に使われるようになってしまいました。以来日本の総理大臣は靖国参拝ができなくなってしまいました。
◆安倍氏がこうした提言を受け入れお詫びをすれば、河野・村山談話を踏襲するだけで、わざわざ新しく、談話を出す必要はありません。
◆972年9月29日の田中角栄総理大臣が日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省するという謝罪から始まり、鈴木善幸、宮沢喜一、昭和天皇、中曽根康弘、橋本龍太郎、小渕敬三、小泉純一郎、福田康夫、管直人と歴代首相が事あるごとに反省と謝罪を繰りかえしてきました。
◆かつて植民地支配をしていた当事国が謝罪を繰り返すなどほとんどありません。世界中を植民地にしていた英国をはいじめとするれ欧州列強が謝罪したという話は聞いたことがありません。
◆しかし、全くないかと言えば皆無ではありません。よく知られているのは、1970年にドイツのブラント首相がポーランドのワルシャワのユダヤ人収容所の記念碑に膝まずいて謝罪したことと、2000年にはヨハネス・ラウ大統領がイスラエルの国会で、ナチス・ドイツによるユダヤ人ホロコーストについて頭を垂れ許しを請うたという例はあります。
また93年にはロシアのエリツィン大統領が細川首相との会談で、日本兵のシベリア抑留について「非人間的な行為に謝罪の意を表明する」と発言していますが、ただ一度の謝罪で済ませています。
◆ところが中韓の場合はそうはいきません。謝れば謝るほど付け込んできます。謝るなら誠意を見せろとなるわけです。戦時徴用、強制連行、従軍慰安婦への補償金、植民地支配への賠償金をよこせと言いがかりをつけてきます。
彼等は当たり屋のような輩です。日本からカネを毟り取ろうと、国策で反日をやっているわけですから、口先で誤っただけで和解などする訳がありません。永久にぐずりながら、手を変え品を変えて纏わりつき、絡みついてくるのは日の目を見るより明らかです。
◆中韓との和解を盛んに勧める人々は、日本が侵略を認めて謝罪すれば言葉だけで済むと本気で思っているのでしょうか。どうもそうではなく、別のベクトルが働いているように思えます。安倍氏が「言わない方が好い談話」をあえて出すのには何か訳があると思っていましたが、やはり安倍氏の後ろで糸を引いていたのがジパン・ハンドラーのボスでした。
米知日派、首相のナショナリズムは外交的に非生産的
2014年、安倍内閣は憲法解釈を変更し、集団的自衛権を行使できると閣議決定した。このことは同盟関係にあるアメリカ側からはどう評価されるのか、アメリカ民主党政権で安全保障関係の要職を務め、知日派としても知られるハーバード大学特別功労教授のジョセフ・ナイ氏に聞いた。
* * *
安全保障という観点から見ると、日本は極めて危険な地域に位置している。最も顕著なのが、何をやるか予測し難い独裁国家・北朝鮮の存在だ。北朝鮮は貧しい国だが、その乏しい国家予算から核兵器とミサイル開発にカネを注ぎ込んでいる。
また、長期的にみれば、中国の台頭がある。尖閣諸島をめぐって日本の主権を認めず、紛争を起こしている人口13億の国家だ。北には日本固有の北方領土について未だに主権を主張するロシアがいる。さらに、日本は南シナ海のシーレーンを経由する貿易に頼っている。
そうした不安定なアジア地域で日本が集団的自衛権を行使すること(国連憲章は日本にその権利があることを認めている)は理に適ったことだ。
むしろ私が問題視するのは、この穏健な変更措置に纏わりつく日本のナショナリスト的なレトリックと言動だ。安倍晋三首相は、慰安婦問題に関する『河野談話』の見直しとか靖国神社参拝といった問題をナショナリズムという一つのパッケージに包み込んで、隣国や同盟国の不信感を増長させている。これが国内政治にどれほど役立つかどうかはともかくとして、外交という見地からすると非生産的である。

19世紀以降、日本はユニークな伝統文化の魅力を継承しつつ、グローバリゼーションを取り入れてきた。快適で、安全で、平和的な民主社会を創り上げてきた。日本人は自国を誇りに思うべきだし、世界により寄与することが出来る。
日本が再び経済成長力を取り戻し、女性の役割を増大させることで(男女雇用均等問題に)真正面から取り組み、国際的な役割を強化していただくよう祈念したい。
●取材・構成/高濱賛(在米ジャーナリスト)
http://ironna.jp/article/906
◆河野・村山談話を見直すなというジョセフ・ナイは日本人が日本精神を取り戻すことが危険だと考えているのでしょう。
だから日本がどんどん右傾化しているというデマを飛ばして、日本を牽制しているのです。安倍氏が言う美しい日本、武士道精神、などが復活すればまた軍国主義が復活するのではないかという恐れがあるのでしょう。
日本を属国として取り仕切るジャパンハンドラーたちは、いつまでもGHQのWGIPのマインドコントロールから目覚めないように、米国依存の自虐史観を持たせておこうという算段です。「ナショナリズムが外交的に非生産的」という一言にそれが凝縮されています。日本が中韓に謝り続け、国際社会とやらにカネをばら撒くことがアジアの安定につながるという理屈です。奴らは日本の主体性を絶対認めず、全てに内政干渉をしています。日本は70年たった今も米国植民地支配から解放されていないのです。


日本人に植えつけられた自虐性は決して治らない
◆自民党政権は彼らの言うままに動いているだけです。命令に従わない総理や大臣は殺されるので逆らえないという恐怖感に縛られているのです。
日本はアジアを侵略したのではない、あれは自衛のための戦いだったとマッカーサーが米議会で証言したことは今ではよく知られています。国際弁護士のケント・ギルバート氏もそれを指摘していますので、その記事を転載します。
【戦後70年と私】占領政策の真実 間違いに気付いていたマッカーサー ケント・ギルバート氏

70年前の終戦直後、日米関係は、お互いが完全な対立軸からスタートした。
米国は、大日本帝国とは、軍国主義の独裁者が神道という宗教を利用して国民を統率する、非民主的国家であり、世界征服をたくらむ野蛮で好戦的な民族の国だと考えていた。
日本の占領政策、言い換えれば「保護観察処分」は、危険な日本を制度面と精神面の両方から矯正する趣旨で始まった。
東京裁判(極東国際軍事裁判)を通じたABC級戦犯の処罰や、戦争の贖罪(しょくざい)意識を植付ける「WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)」、日本国憲法第9条も一貫した趣旨に基づいている。
しかし、朝鮮戦争が起きたころには、GHQ(連合国軍総司令部)最高司令官のマッカーサー元帥は、根本的な間違いに気付いていた。米国が戦うべき敵は日本ではなく最初からソ連であり、日米戦は不必要だったのだ。
強い日本軍が、野蛮で危険なソ連の脅威からアジアの平和を守っていた。米国は間抜けな勘違いのせいで、日本軍を完全に解体してしまった。これが今日まで続く、米軍日本駐留の根本原因である。
最高司令官を解任されて帰国したマッカーサー元帥はワシントンに呼ばれ、1951年5月3日、米国議会上院の軍事外交合同委員会で証言した。
「Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security(=日本が戦争を始めた目的は、主として安全保障上の必要に迫られてのことだった)」と。
日本が始めた大東亜戦争は侵略戦争ではないという意味だ。戦後体制の大前提を根底から覆す、このマッカーサー証言の存在すら知らない人が日米両国とも圧倒的多数である。
占領下の日本には「プレスコード」(=GHQによる言論統制。『連合国や連合国軍への批判』など禁止事項を厳格に列記した)があったので、このニュースを取り上げることはできなかった。
しかし、終戦70年を目前にした現在も、日本の首相経験者や与野党の要職者が、「安倍晋三首相は70年談話で日本の侵略戦争をわびろ」などと、無知蒙昧(もうまい)ぶりを披露している。
70年間に、日米ともさまざまな機密文書が公開され、過去の多くの常識が、今では非常識になった。
開戦前の日米和平交渉の経過や、当時のルーズベルト大統領が議会承認を得ずに「ハル・ノート」という最後通告を日本に突きつけた事実は、米国人にも隠されていた。
ハル・ノートの草案を書いたハリー・ホワイト財務次官補は、後に「ソ連のスパイ」だとバレて自殺した。日米開戦支持の議会演説を行ったハミルトン・フィッシュ下院議員は、すべての真実を知って大激怒。自分の演説を恥じ、「ルーズベルト大統領を許せない」と死ぬまで言い続けた。
戦後70年の節目を機に、日本人のみなさんには、日米関係のみならず、国際情勢全般について、最新情報へのアップデートをお願いしたい。
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20150807/dms1508071550004-n1.htm
◆本当に日本の有識者といわれる人々はい、旧態依然として新情報に疎くアップデートが遅すぎます。
安倍氏がどのような発言をするのか、中韓だけでなく欧米も関心を持っていますので下手なことは言えません。
しかし安倍氏は反省と言う言葉は使うが、侵略と謝罪の文言は使わない積りのようです。いずれにせよ談話を出せばイチャモンつけて、攻撃しようと中韓が手ぐすね引いていますから、談話取り下げにした方がいいと思いますがねえ。
しかし、ここまで来たからにはそれはナイ・ナイ・ジョセフ・ナイってか?
▼呼ばはった~?

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