鬼を育てない為に

◆「人は環境の動物」という言葉がありますが、育った環境によって人格が形成されるというのは真実でしょう。持って生まれた性質というものもあるでしょうが、仏性は誰もが生まれ持っている筈です。川崎市の中学1年生、上村遼太君の殺害現場には、心を痛め献花に訪れる人の姿が後を絶たないそうです。








「かわいそうでならない」 現場は献花の人絶えず

現場2

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あまりにもひどい」「許せない」。川崎市の中学1年上村遼太君(13)が殺害された事件は27日、殺人容疑で少年3人が逮捕された。遺体発見から1週間。現場は夕方になっても献花に訪れる人が絶えず、涙ながらに冥福を祈った。



 「かわいそうでならない」。遺体が見つかった川崎市の多摩川河川敷。上村君の小学校時代の同級生で、別の中学に通う女子生徒(13)は花束を供えて手を合わせた。「一緒に遊んだ思い出や笑顔が頭に浮かんできた」と涙をこぼした。



 逮捕されたリーダー格の少年(18)の川崎市内の自宅には同日夕、家族がワゴン車で帰宅。母親とみられる女性が憔悴しきった様子で両脇を抱えられながら家に入ったが、報道陣の呼び掛けには答えなかった。



http://www.sankei.com/affairs/news/150227/afr1502270041-n1.html







◆上村遼太君の頸動脈を切って殺した犯人は18歳の高校生と17歳の少年だそうで、神奈川県警の調べで、リーダー格の18歳の少年は「何も言いたくありません」と供述し、17歳の2人は「近くにいただけ」「殺した覚えもない」と供述しているそうです。


◆今度の事件で思い出すのが、2004年に起きた佐世保小6女児同級生殺害事件、6年生の女子児童が同級生の女児にカッターナイフで切り付けられ、死亡した事件と、去年の7月に起きた佐世保女子高生殺害事件です。


被害者を自宅マンションにて後頭部を鈍器のようなもので数回殴り、ひも状のもので首を絞めて殺害し、遺体は首と左手首が切断されていたと言われています。この女高生は精神鑑定を受けて心神耗弱ではなく、至って冷静であるという事です。

◆この犯人は父親の頭をバットで殴り殺そうとした経歴もあり、その異常性は先天的なものなのか、それとも悪霊に憑依されているのか判断がつきませんが、少なくとも、こう言う恐ろしい殺人鬼に育つには家庭の環境に問題があるのかもしれません。虐待を受けたり、無視されたり、愛情が欠損した家庭で育てば、PTSDになり、反抗的で暴力的になるというのはよく知られています。


矢張り生まれたての赤ん坊は、親の愛情を一杯受けなければ、人間らしい人間には育たないようです。一時アメリカ・インディアンの教えという詩が流行しました。内容は次のようなものです。








アメリカ・インディアンの教え

子どもたちは、こうして生き方を学びます。

批判ばかり受けて育った子は、人をけなすようになります。

いがみあう家庭で育った子は、人と争うようになります。

恐れのある家庭で育った子は、びくびくするようになります。

かわいそうだと哀れんで育てられた子は、自分が哀れな人間だと思うのようになります。

ひやかしを受けて育った子は、はにかみ屋になります。

親が他人に対して嫉妬ばかりしていると、子どもも人を羨むようになります。

侮辱したりけなしたりされて育った子は、自分に自信を持てなくなります。

励まされて育った子は、自信を持つようになります。

寛大な家庭で育った子は、我慢することを学びます。

ほめられて育った子は、感謝することを学びます。

心から受け入れられて育った子は、愛することを学びます。

認められて育った子は、自分が好きになります。


子どものなしとげたことを認めてあげれば、目的を持つことの素晴らしさを学びます。


分かち合う家庭で育った子は、思いやりを学びます。

正直な家庭で育った子は、誠実であることの大切さを学びます。

公明正大な家庭で育った子は、正義を学びます。

やさしさと、思いやりのある家庭で育った子は、他人を尊敬ることを学びます。

安心できる家庭で育った子は、自らを信じ、人をも信じられるようになります。

和気あいあいとした家庭で育った子は、この世の中はいいところだと思えるようになります。







◆ この詩は、日本では長い間「インディアンの教え」として広まっていますが、これはインディアンとは関係なく、1954年に出版された「Children Learn What They Live」 by Dorothy Law Nolte and Rachel Harris という本に書かれたものだそうです。それがなぜか日本語への翻訳時にインディアンの教えと訳されたため、そのまま広まってしまった。」と言われています。


◆しかし、この教えは幼児教育にあたっては実に大切な教訓が沢山ちりばめられています。生まれて間もないころはお母さんのおっぱいを沢山飲んで、愛情たっぷりのスキンシップと、不安や恐怖を与えない環境の中で育てることが何より必要なのです。

しかし現実は共稼ぎをしなければ生活できないような、余裕のない時代です。母親は後追いをして泣きすがる子を保育園などの施設に預けて職場に向かう事になります。他人に任せになりますので甘えが許されず、情緒不安定になる子もいるのではないでしょうか。

◆母親のべたべたな溺愛で甘ったれにするより、他人の手で保育した方が、自立心が付くと言う人もいますが、時間に追われ神経をすり減らして働く母親がうつ病になって子育て放棄、シカト、虐待などに走るケースも見られます。

◆子供は食事さえ与えておけば一人で育つというものではなく躾が必要です。子育ては片手間でできることではありません。

小学校も高学年になれば、倫理道徳教育がなされなくてはなりません。

私は小さいころから「我が身をつねって他人の痛さを知れ」と教わってきました。人としてやってはならない事と、やらねばならない事のけじめを、きっちり教える事が必要です。


◆先ず「おはようございます」「こんにちは」「頂きます」「ごちそうさまでした」などの挨拶から始まり、言葉使い、箸の持ち方、食事のマナーなど細部に渡り教え込む事が必要です。今はこうしたことが全くできていない親や教師が多すぎるような気がします。

◆昔、薩摩藩には武士の子弟の教育に郷中(ごじゅう)という青年宿のような組織がありました。4-~5町四方を単位とする「方限(ほうぎり)」を基盤として、その区画や集落に居住する青少年を集めて教育するのです。幼い者を小稚児(こちご、6-10歳)と呼び、次に長稚児(おせちご、11-15歳)、そして二才(にせ、15-25歳)最後に長老(おせんし、妻帯した先輩)の4つのグループに編成し、武道稽古や精神修養を行っていました。


◆郷中の最大の特徴は「教師なき教育」で、先輩が後輩を指導し、同輩はお互いに助け合う、いわば学びつつ教え、教えつつ学ぶ」という教育です。長州の吉田松陰の松下村塾もそのような学びの場だったのでは無いでしょうか。


それぞれのグループで「頭(かしら)」(稚児頭、二才頭など)が選ばれ、頭は郷中での生活の一切を監督し、その責任を負った。郷中のメンバーは「舎」(健児の舎)に集まり武術や学問に励んだ。頭に選ばれる者は文武両道に優れ、人徳があり、指導力のある者が選ばれたようです。


◆ 郷中教育では学問も教えたが、徳育・訓育・体力づくりが中心で、「武士に七芸」といわれ、武術の修練は重要だった。剣術は特に厳しく、二才たちは稚児に稽古をつけた後、さらに自分たちの稽古を行った。


◆薩摩の剣術の代表的な流派には、東郷重位を祖とする「東郷示現流」と薬丸兼陳を祖とする「薬丸自顕流」があった。前者は主として上級武士に、後者は主として下級武士にたしなまれたが、共に「最初の一太刀で倒せ、二の太刀は無い」という激しいものでした。防御のための技は一切なく、先制攻撃を重視する一撃必殺の精神が特徴です。


◆郷中の教えは家庭教育の場にも生きていました。ぜいたくを言わず、質素を尊ぶ気風は衣食住のいたるところに浸透していて、母親が、言うことを聞かない子どもに対して「郷中に云い付けますよ」と叱ることもあったそうです。子どもは、父母のもとに生まれた宝でありながらも、同時に社会での公的な意味を持つ存在という認識が徹していたのでしょう。


◆薩摩藩には、幕末に33の郷中があり、中でも加治屋町郷中は、幕末から明治にかけて多くの逸材を生み出したことで有名です。維新の傑物、西郷隆盛、大久保利通、西郷従導、大山巌、村田新八、東郷平八郎、黒木為楨、その他を輩出し、郷中教育が日本近代化への原動力となったことを如実に物語っています。

◆郷中では次にような掟があったようで、地域によっては多少の違いがあったようですが、仲間内で、もめごとを起さないための知恵が詰まっています。

• 仲間内でも無礼な口をきくな
• 所用で外出しても、用事が済めばすぐ帰れ、長居はするな、
• 弱いものいじめをするな
• 嘘を言うな、嘘を言わないのが武士の本道である
• 物事は仲間とよく話し合って慎重に決めよ
• 髪型や外見に凝るのは薩摩の青年ではない
• 万事質実剛健,忠孝の道にそむくな
• 金銭欲・利欲をもっとも卑しむべきこと 
• 理屈を言うな
などが定められています。

◆そして同じ薩摩の郷中教育に「出水兵児修養掟」(いずみへこ、しゅよう、おきて)と言うのがあります。これも武士の子弟教育に大いに用いられたものです。







出水兵児修養掟


士ハ節義を嗜み申すべく候。

節義の嗜みと申すものは口に偽りを言ハず、身に私を構へず、心直にして、作法乱れず、礼儀正しくして上に諂らハず、下を侮どらず人の患難を見捨てず、己が約諾を違ヘず、甲斐かいしく頼母しく、苟且にも下様の賤しき物語り悪口など話の端にも出さず、譬恥を知りて首刎ねらるゝとも、己が為すまじき事をせず、死すべき場を一足も引かず、其心鐵石の如く、又温和慈愛にして、物の哀れを知り、人に情あるを以て節義の嗜みと申すもの也。




◆出水市では今も、この掟を現代風にアレンジして青少年健全育成の方針としているそうです。






出水の青少年健全育成の方針

人は日頃から節義を心がけなければならない。

節義の心がけとは,嘘を言わず,自分勝手でなく,ひねくれず,

立居ふるまい挨拶など社会のきまりに合った交際上の動作や作法
を身に付け,地位の高い人に気に入られようとしてこびることなく,

地位の低い人を見下げてばかにすることなく,他人の災難や心配ごと
などを見捨てず,引き受けた事はやりとおし,勢いよく労を惜しまず,

手ぎわよく,はっきりした態度で物事を行ない,頼みにできるさまであること。

一時的であっても卑しい様子やふるまいについて語り合ったり人を悪く
いうことなど会話のちょっとした部分にも出さず,

たとえ面目を失い名誉を傷つけられて職を失うことになっても,自分がすべきでないことはせず
決死の覚悟を決めた時には気おくれせず,その精神は強固でやさしく

深い愛情があり,情趣・風流を理解する洗練された心と思いやりのある
温かい心を持つことを節義の心がけと言う。





◆実に堂々とした、見事な修身のお手本です。各藩にはそれぞれ青少年の教育法と言う者があります。薩摩の郷中と比較されるのが会津藩の「什の掟」でしょう。
什の掟
• 一、年長者の言ふことに背いてはなりませぬ

• 二、年長者には御辞儀をしなければなりませぬ

• 三、虚言を言ふ事はなりませぬ

• 四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ

• 五、弱い者をいぢめてはなりませぬ

• 六、戸外で物を食べてはなりませぬ

• 七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ

ならぬことはならぬものです

◆最近は「どうして人を殺してはいけないの?」などと言う馬鹿な質問をする子供がいるそうですが、そう言う馬鹿ものには「では聞くが、お前は殺されたいのか?ならぬことはならぬのです!」と一喝すべきなのです。

幼児教育は、社会生活に適応できるよう、基本的な形にはめなければ、ならないのです。つまりやらなければならない事と、やってはいけない事の区別を身体で覚えなければ、成長した後で本人が困ることになるのです。
サイコパスやモンスター・ピアレントが生まれるのも日本の戦後教育が間違っていたからです。

米国流の道徳教育は自由と権利の名のもとにエゴを肥大させ、自己中心的で、全て我善しと考えるようになります。自分さえよければ他人などどうなってもよい。他人の痛みなど全く顧みないのです。日本の小中学校で郷中教育を道徳の時間に取り入れたら、上村遼太君殺しの犯人のような鬼は生まれなかったでしょう。




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この事件はよ〜く検証してみる必要があるかも…。
ISIS首刈り事件に通じる「うさん臭さ」を少しばかりどこかに感じます。
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