疾風怒濤の5日間



◆虫の知らせというものはありますね。我が家では毎年正月に玄関ドアの上に例年松飾りを掛けておくのですが、3日の朝新聞を取りに玄関を出ると、その松飾がタイルの上に落ちていました。正月早々縁起が悪いなと思いながら、掛けなおしておくと、4日の朝にまた落ちているではありませんか。不吉な思いで松飾を拾い、下駄箱の上に立てかけておいたところ、1月6日の早朝5時ごろに従兄の嫁から半泣きで亭主危篤の電話かありました。

松飾

◆誰も来ない正月ですから、顔も洗わず着替えもせず、ぼんやりしていたところに突然の知らせ。私は慌ただしく身支度をして、年末から用意していた喪服と着替え詰まったバッグを車に放り込み、顔面帯状疱疹の疼痛で苦しんでいる連れ合いを残して、家を出たのが7時過ぎ。病院へ到着したのが10時前でした。

◆看護師さんたちが病室を入れ替わり立ち代わり忙しく働いているなか、ベッドサイド・モニターの心電図と血圧計は激しく乱高下していましたが、やがて、心電図のパルスが止まり、担当医は別の患者の治療に忙しく代理の医者が「午前10時3分ご臨終です」と死亡時間を確認。

心電図

臨終の病室

◆ここから気が遠くなるような時間がスタートします。従兄には腹違いの弟がいましたが、6年前に自殺、また子供も無いので身寄りと云えば私位なものです。その奥さんはポーっとしている人なので葬儀は、私一人で仕切らなければならなりません。

◆生前から「人間の寿命は歳の差ではないからね。あんたが先か私が先か、それは分からないが、お互い後に残ったものが死に水を取ろうね。」という約束がありました。だからその約束を果たさねばならないのです。

◆最近は患者が死ぬと、病院から直接火葬場へ送り、1日で終わらせるという直葬という葬儀の方法があるそうですが、それではあまりにも故人が不憫です。天涯孤独な人には通夜なく、葬儀なく、墓もない、。やはり親類縁者は欲しいものです。

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◆特別に派手な葬式をする必要はありませんが、リタイア後ではあっても、せめて家族葬位は出して上げたいというのが人情です。従兄は6日朝方に亡くなったのですが、この日は葬儀社に宿泊して、通夜は翌日7日ということに決めました。

◆葬儀社の手配をして、病院まで遺骸を引き取りに来てもらいますが、その前に病院で湯潅、化粧をしてもらい、死亡診断書を受け取り、霊安室から遺骸を搬送車で葬儀社へ移送。それから親類縁者への連絡、お寺さんへの連絡、町内会長さんへの連絡、葬儀費用の交渉、花、供物、霊柩車、会葬御礼のはがき、お返しなどの内容検討、火葬許可証、これらのことは葬儀社の方と相談しながら進めていきます。

◆一番気を遣うことは、葬儀全体の費用です。従兄夫婦に預貯金がどれくらいあるか知りませんし、喪主がどのくらいの予算を計上しているのか分からないことでした。

◆去年の11月に従兄の義母が施設で亡くなった時、彼は喪主として最もローコストの葬儀を行いました。その時も私が手伝いに行きましたが伯母の遺骸は湯潅もせず、死に化粧もせず、遺骸の眼は見開いたまま、口は大きく空いたまま、まるでお化け屋敷の人形のような有様でした。
その時は町内会にも、親戚にも連絡しませんでしたので、従兄夫婦と私と3人だけという実に寂しい弔いでした。遺骸を火葬場へ運ぶ霊柩車は白のポンコツのハイエースで、いくら継母と継子という、なさぬ仲であっても、これはないのではないかなあと、思ったものでした。
ハイエース

◆今度は従兄の番です。親戚や町内の方々の目もあります。伯母の弔いのような惨めな様を見せたくないのではないかという思い、従兄の連れ合いも少しは体面を保ちたいのではないかと思い、霊柩車と花は私の独断でそこそこ高級感のあるものを選びました。それでも喪主である彼女の同意は必要だと思い、カタログを見せ「これで、いいよね」と念を押したところ、彼女は何も答えず押し黙ったままでした。普段からポーッとしている所に亭主が死んだショックでが上乗せされて、布団に寝かせてある遺骸のそばに張り付いて一所懸命何か語り掛けていました。

◆この葬儀場は納棺の際、家族に手伝わせるようなシステムになっています。通常ならば納棺師という職業人がやるものだと思っていましたが、ここでは他人に任せるのではなく家族が行うものだという企業理念があるようです。ですから家族2人とと葬儀担当者2人とがシーツの四隅を掴んで。遺骸を棺桶に入れる訳です。そして手甲脚絆を着けさせられ、頭陀袋に三途の川の渡り賃を入れて胸元に置き、その上から帷子を着せるのですが、これが結構面倒な作業です。またいくら家族でも死人を触るということにはかなり抵抗があります。

納棺

◆6日は葬儀社の和室で第一日目はの昼、僧侶が来て簡単な枕経を読み、翌日の通夜と、その次の日の葬儀について時間の打ち合わせをします。ここから、長い時間が始まります。この日は朝から何も食べていません。近くには店も食堂もありませんので、市内を回って弁当屋とコンビニを探し、二人分の夕食を確保しました。私は胃がありませんので僅かな量しか食べられませんが、彼女は小柄でありながら結構な量がある弁当をぺろりと平らげたのには驚きました。

◆その夜も喪主と二人きりで過ごすことになりましたが 彼女は年末年始を亭主のそばに付き添いのため病院に泊まり込み、着替えもしていないし、風呂にも入っていないと云います。「では風呂に入って着替え只どうです?」というと、「面倒くさい」という返事。これにも驚きました。「明日からお客さんたちが見えるし、本格的に忙しくなるから、今日の内に疲れを取った方が好いですよ」と葬儀社の風呂を借りて、お湯を張り湯加減なども見てやるなどして何とか説得して入浴してもらいましたが、この人はことほど左様に何から何まで一人ではできない人なのです。

風呂

◆この人と二人では殆ど会話も成り立ちませんので、いつものように焼酎の5合瓶をお湯割りでちびちびやっているうちに、朝からの疲れでいつの間にか炬燵で寝込んでしまい、目が覚めると7日の御前6時でした。
喪主である彼女は、相変わらず亭主の遺骸の耳元で何かぶつぶつ言っています。

◆また、二人分の朝飯の買い出しに出かけます。

弁当

私は普段、弁当屋とコンビニで朝食や昼食を調達するなどと云うことはあまりないため、腹具合が悪くなります。神経の使い過ぎと食事のせいでしょうか、ひどい便秘に襲われました。ドラッグストアに走り胃腸薬と便秘薬、目が真っ赤に充血しているので目薬を買いました。しかし便秘の症状は一向に治まらず3分置きのトイレ通いです。

◆そのうち親戚の者たちが三々五々やってきました。久しぶりというか、何十年ぶりかに合う人もいました。光陰矢の如しといいますが人間は暫く見ないうちに皆な驚くほど老いぼれてしまうものです。

黄昏

◆ある者は脳溢血で倒れ、車椅子に乗るようになり、またある者は腎臓、糖尿病を患い、膀胱にカテーテルを挿入しないと尿が出ないというような病、そして別の者は私と同じく胃を全摘出し、そのうえ緑内障で失明しかかっているということでした。そしてその人たちの連れ合いも例外なく股関節脱臼や関節痛など、何か蚊の理由で畳に座れないというような人ばかりでした。

◆最悪なのは、脳溢血で歩行不能になり車椅子に座って、食ってばかりいる男は体重80キロを超え自力でトイレにも行けないという有様。その彼が何度も何度も小便というものだから、これまた関節痛の奥さんが車椅子を段差のある畳から下ろして、トイレに連れて行く。一人では無理なようで私も肩を貸さねばならず、便秘と腰痛の身には甚だ辛いものがありました。


◆この場の通夜客には精進料理の出前を取ることが出来たので有難かったです。ただし私は便秘で何も食べられませんので、これ以降の3日間、水だけで過ごすことになります。


◆7日は18時より僧侶による通夜が行われ、焼香を終えると、十数人の町内会の方々の中に子供の頃の私を覚えている人がいて、懐かしそうに名前で呼んでくれました。

通夜客

◆焼香が終わると葬儀社の担当が私に親戚代表として町内会の皆様へ挨拶をすることになり、冷や汗をかきながら「故人が生前に町内の皆様がたに大変お世話になった事を、成り代わりまして厚く御礼申し上げます。今後も残された奥さんとのご厚誼をよろしくお願いします」と挨拶。町内会長さんが受付をやって下さり、会葬御礼の袋を渡された通夜客は潮が引くように帰ってしまい、また私と喪主の二人になりました。


◆この日、有難かったことは深夜12時過ぎに私の倅とその息子2人が6時間掛けて来てくれたことでした。俺一人で棺桶は担げない、親戚もご近所もみんな病気や障害を持った人ばかりなので出棺の手伝いを頼みたいと電話を入れていたのです。「通夜には間に合わないけど、仕事を済ませてから行くよ」という返事でした。
その彼らも葬儀社の通夜の部屋で缶ビールを飲んで、喪主を除き全員炬燵で雑魚寝です。

◆翌日は倅と共に弁当屋とコンビニに朝食調達に走りましたが、私の分はありません。酷い便秘ですから食べ物を見るだけでも気持ちが悪くなるのです。皆が朝食を済ませてしばらくすると、重病人の親戚たちがやってきました。葬儀は13時から始まるということでしたから、当然昼食は取ってくるだろうと思っていましたが、誰も何も食べていないとのこと。そこで葬儀者の担当者に「いまから10人前の出前を頼むところはないかと尋ねると「それは無理です。昨日から云ってもらわないと。でも橋のたもとに回転寿司屋があるのでそこで握ってもらっては?」という。いくら回転寿司屋といっても30分や40分かかる、それから食事をしていると葬儀に間に合わない。そこで近くの大型スーパーの魚売り場へ急行、朝握りたての大皿の寿司盛り合わせを二皿買って戻ったのですが、葬儀にはぎりぎりセーフでした。

読経

◆僧侶の長い読経が続きます。浄土真宗は難しいことは何も言いません。「ただひたすらお念仏を唱えなさい。そうすればきっと阿弥陀如来様がお救い下さいます」という事だけです。そういう意味においてはキリスト教とよく似ているのではないでしょうか。「南無阿弥陀仏」と「アーメン」を唱えることでどんな罪びとでも救われるのです。浄土真宗の開祖親鸞上人の根本思想を説いた 歎異鈔には〈善人なおもて往生をとぐ,いはんや悪人をや〉とあります。 善人は自分の能力で悟りを開こうとするので、仏に頼ろうとする気持が薄いが,煩悩まみれの凡夫(悪人)は仏様の救済に頼る他に手はないという気持が強いため,阿弥陀仏に救われるのだという考えです。 だからいろいろなお経の間に必ず南無阿弥陀仏という祈りの言葉が何度も何度も繰り返されます。

◆葬儀の客たちがそれぞれ焼香を済ませると、いよいよ出棺です。飾ってあった花を棺桶の中にいれ、遺骸全身を花で覆い蓋をかぶせますが、最近は蓋の釘打ちはしないとのことでした。

出棺1

◆喪主は出棺に際し参列者に挨拶しなければなりません。しかし、喪主は原稿があるにも関わらず、嫌だ嫌だと何とか挨拶を逃れようとしましたので、原稿の中身を半分位にカットして、ただ読見上げるだけでいいからと説得すると、半べそをかきながら、蚊が鳴くような声で何とか読み上げていました。

◆出棺に際しては、葬儀屋と私の倅親子が棺桶を担ぎ霊柩車へ載せてくれました。喪主は位牌を、私は従兄の遺影を持ち、新しい黒塗りのベンツに同乗、火葬場へ向かいました。

つみこみ2

しゅっかん2

親戚の半病人たちと町内会の人々は、火葬場には行かず、同行したのは私同様胃を全摘出した従弟夫婦と喪主の姉夫婦、そして倅親子でした。もうこの頃になると便秘と、むかつきが最高潮になり、脂汗が出て、焼き上がりまでもたないのではないかというほどの苦しみが続きました。やがて2時間弱、従兄の遺骸は真っ白な備長炭のような灰になって出てきました。収骨の儀式が終わったのが17時、それから再び葬儀社に戻り、初七日の法要があります。体調は益々悪く途中退席したくなりましたが、そうもいかず、ひたすら忍の一字です。


◆早く家に帰りたい、しかし喪主と遺骨と遺影、位牌と花を自宅に送り届けるまでが私の役目です。葬儀社から位牌、遺骨、遺影、花を積込み、自宅へ。従兄の居室にテーブルを置いてそれらをワンセットにして飾り付けが終わると、喪主との挨拶もそこそこに帰路につきました。

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◆ここから我が家までは2時間の距離ですが、倅たちはその上4時間先のロングドライブです。ご苦労様、本当にありがとう、私は携帯で倅に礼を言い、分岐点で左右にわかれました。

夜の高速

◆帰宅すると、我が家のお岩さんが痛みで引きつりながら出迎えてくれましたが、もう遅いので睡眠薬を飲んで寝たらと促し、自分は下剤を規定以上に飲んでみました。しかし酷い陣痛だけはあるものの一向に出産ということにはなりません。

◆3日三晩の緊張と疲労で神経の糸が切れそうになり、よくないと知りつつも焼酎のお湯割を飲むこと2時間。そうすることで1時間ぐらいは眠れますが、またすぐ目が覚めます。するとまた飲む、そしてまた寝る。この繰り返しを続けているうちに、今度は手足が痺れ、立つことはおろか体を起こすこともできない状態になりました。不断飲んでいるものより、アルコール度合いが強い焼酎だったためでしょうか、急性アルコール中毒のような状態で、でそのまま、9日まで24時間気絶したような状態でした。

浣腸

◆そして10日。目覚めと共にドラッグストアーへ走り浣腸薬を買い自分で注入すること3回。その結果、脂汗と共に4度に及ぶ大量の排便があり、無事に生還することができまして今日を迎えることが出来ました。

¥刎頸の交わり

◆仲の良い関係を「刎頸(ふんけい)の交わり」と云いますが、従兄と私の関係は「糞兄」の」交わりだったのではないかと、一人笑いをしています。
このことが従兄に対する喪失感を紛らわせてくれたといっていいでしょう。人間という生き物は実に即物的に出来ているものですね。新年早々尾籠な話で申し訳ございませんでした。

◆さて、トランプ大統領誕生で世界が怯えているようですね。トヨタは関税45%を恐れ1,1兆円を投資すると発表しましたが、フォードやクライスラーまでが米国内に回帰すると言っているようです。これまでトランプを攻撃してきた米メディアも、嘘の報道を続けてきたことで、トランプの逆襲を恐れていますね。
トランプの逆襲

▼2017年は激動の年になりそうだニャア~

杞憂

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お疲れ様でした

長らく更新が無かったので心配しておりました。
どうかお体大切になさってください。

No title

本当に、御苦労さまでした。
東日本震災後、カナダに住んでおりますが
自分の最後をいかにすべきか、まったく考えもしなかったのですが、今回の記事で大変勉強させて
いただきました。 ありがとうございました。
ぜひ、まずは ご自分のお体を大切に!


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来るべき次元上昇まで、世界で起きる事象を俯瞰したり斜めから見たりしている爺です。

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