日本は天皇に守られている
◆今上陛下の譲位が19年3月と決まった。ご高齢にも拘わらず黙々とご公務に励んでおられるお姿は何とも御稜威(みいつ)と慈愛に溢れて自然に頭が下がります。

◆天皇は日本全国に88、000社あるという神社神道の最高位の神職(神主)であり、そのお役目は、八百万の神々に国家安泰と国民の平安を毎日、朝と夜に祈願することであります。

◆そのほかにも、内閣の認証や様々な国事行為があり、地方のイベント等にもお出掛けになります。また東日本大震災や熊本大地震、福岡大洪水など、日本各地で起きる災害被災者を見舞われるなど、御老齢の陛下と皇后様には、さぞご負担であろうと推察されます。宮内庁も不要不急な御公務は減らして差し上げればよさそうなものをと、宮内庁の役人どもの融通の利かなさに苛立ちを感じる時があります。
◆陛下が生涯のライフワークにされているのが、第2次世界大戦の激戦地で亡くなった多くの人々の慰霊の旅です。 戦後50年の節目に始まった両陛下の慰霊の旅は長崎、広島、沖縄を経て、60年のサイパン、昨年のパラオに続き、71年目に激戦地であったフィリピンへ向かわれています。

パラオ慰霊

フィリピン慰霊
◆天皇皇后両陛下の激戦地慰霊の旅で特筆すべきことがあります。それは1994年の最も過酷で激烈であった硫黄島慰霊の旅で、それは起こりました。

硫黄島慰霊
硫黄島 天皇陛下訪問で怪奇現象が鎮まった。

戦死した日本兵
◆どんな高僧でも除霊師でも、怪奇現象を治めることが出来なかったのに、天皇のお祈りは八百万の神々に届いたのでしょう。恨みを飲んで散華した英霊たちも暫しの間、鳴りを潜めたということでしょう。さらに興味深いのは、皇太子妃雅子様のことで、お悩みだった皇后さまは長い間失語症に掛かっておられたところ、この慰霊の旅でお声が回復為されたとのことです。
http://npojpa.org/guuzentogaizen
NPO日本パラオ協会理事長 黒岩 徹
「文芸春秋」(八月号)には「慰霊の旅と失語症状回復の真実―――
美智子皇后と硫黄島奇跡の祈り」(梯(かけはし)久美子(くみこ)氏)が掲載されている。「昭和の時代が生み出した大量の戦没者は、天皇家が背負う、いわば“負債”である。今上天皇は、その負債を昭和天皇から引き継いでいるという自覚がおありになる。」などと言う松崎敏弥(皇室ジャーナリスト)の言を無批判に引用していることが気になるが、それはここでは置いて、以下私見も交え当該文を要約する。
平成五年十月二十日、この朝五十九歳の誕生日を迎えられた美智子皇后陛下は、御所で公務身支度の最中に突然倒れ、以来言葉を失った。当時週刊誌等では、“宮内庁職員を自称する匿名の筆者”が『天皇皇后両陛下の私生活が、昭和天皇の頃と比較して快楽主義的である』とした批判を繰り広げ、『原因は皇后陛下のお力が増大してしまったこと』だと述べていた。
皇后陛下は誕生日を迎えるに当たり、これらバッシングに関し、宮内記者会の質問に次のような文書で回答を寄せていた。これを読むと、皇后陛下が如何にご心労を重ねたかが分かり、医師の診断「心因性の失語状態」も解る。
「どのような批判も、自分を省みるよすがとして耳を傾けねばと思います。今までに私の配慮が充分でなかったり、どのようなことでも、私の言葉が人を傷つけておりましたら、許していただきたいと思います。
しかし、事実でない報道には、大きな悲しみと戸惑いを覚えます。批判の許されない社会であってはなりませんが、事実に基づかない批判が、繰り返し許される社会であって欲しくはありません。(以下略)」 皇后陛下はしかし、文字は書け、声も出せる、ただ音声として言葉を発することが出来ない状態の中で、ご自身の強い希望で公務を続けられた。そして翌平成六年二月天皇皇后両陛下は慰霊のために硫黄島を訪れることになった。
小笠原諸島の南端のこの島は、その名の通り硫黄の蒸気が噴出す火山島であり、川は一本も無い。昭和二十年二月、島に迫った米軍は五日で落とすと見積もったが、二万余の将兵率いる栗林忠道中将(死後大将)は、島じゅうに地下壕を掘らせ、全員が地下にもぐり徹底抗戦する戦法を採った。日本兵は地熱と渇きに苦しみながら、米軍の地下壕封鎖作戦等に対抗、三十六日間の持久戦の末三月玉砕した。
今も地下壕に閉じ込められたまま一万三千柱が眠っている。 さて六年二月十二日午後一時前、両陛下は航空自衛隊のC1輸送機で硫黄島入りした。約二時間、国が建立した「天山慰霊碑」、東京都が建立した「鎮魂の丘」等での慰霊を終え、帰国する直前、基地庁舎の中で、皇后陛下は、東京都遺族連合会の石井金守会長に「ご遺族の方たちは、みなさん元気でお過ごしですか」とお言葉を述べられた。
同席した硫黄島協会の遠藤善義会長も聞いている。実に約4ヶ月ぶりの皇后陛下の音声会話であった。これに関し、当時の宮内庁発表では、「お言葉が出たのは硫黄島訪問の翌日十三日、小笠原諸島父島で、地元子供たちのアオウミガメ放流の際に『あれが私の放したカメ』と放しかけた子供に『次の波が来るとカメは海に帰るのね』と答えられた。」ことになっている。
また新聞でもそう報じられた。 我々がこれに対し言えることは「硫黄島英霊が皇后陛下のお言葉をお戻しになられた」ということだけである。そして以上の事実を著した梯氏には敬意を表する。それに引替え、宮内庁は昔も今も何を考えているのか。 我々はこの様な話をいくつも聞いている。このようなことは果たして「偶然」と片付けてよいのだろうか。英霊のご加護やお気持ちを思うとき、そこには「蓋然」があるのではなかろうか。それが私の疑問であり、本文の趣旨である。
http://blog.goo.ne.jp/gorichanman/e/390075a2cfdbce8122441e547332766e
◆厚労省の怠慢でフィリピンやペリュリュー島、そして硫黄島の遺骨収拾は中々進ンでいないようですが、安倍総理は収拾を加速させたい意向のようです。

◆天皇は政治的発言は決してなさいませんが、この国の在り方について常に御心を痛めておられるのは間違いありません。極左勢力によって常に貶められている自衛隊員たちに、暖かい励ましのお言葉を賜り、隊員一同が感涙にむせんだというエピソードもあります。
日本人が知らない天皇陛下の真実!東日本大震災で敵だらけの自衛隊を救う感動の一言 陛下のお心遣いに感動【涙腺崩壊】
◆そして、意外な人物が天皇陛下の御稜威に触れ痺れるような感動を受けたと言っています。
ビートたけしも敬意を払う 日本の天皇陛下!「死んでもいい」とまで言わせた凄まじいオーラ!大物芸人が語る日本の象徴とは?
◆共産党や社民党、民進党など日本のパ翼分子にはやはり、日本人の血は流れていないのでしょう。2000年5月に当時の総理大臣森喜朗が、神道政治連盟国会議員懇談会に於いて演説し「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞ、ということを国民の皆さんにしっかり承知していただく、そのために我々は頑張ってきました」と発言しました。

◆この発言に対し日本共産党の志位和夫をはじめ、多くのパ翼が一斉攻撃を始めました。朝日新聞・毎日新聞などのマスコミからは「国民主権や政教分離に反するものではないか」との批判がなされ、大騒動になりました。
◆パ翼曰く、一国の総理がこのような宗教関連団体である神道政治連盟に出席すること自体が怪しからん、 森は首相としての資質がかけている、として首相退陣の声が高まり結果、森首相は退陣して解散を余儀なくされました。この解散は今でも神の国解散と呼ばれています。
◆パ翼が日本人でないもう一つの証拠があります。熊本大地震で被災したところに、自衛隊帰れのプラカードや横断幕を持った、俗にいう市民運動家という輩の話です。
8歳少女『この人達が人殺しやん』 災害派遣に来ている自衛隊を罵倒する左翼へ言い放った言葉が凄い!!
◆8歳の子供でも分かる理屈がこの気持ち悪いパ翼連中には理解できないのです。
朝日・毎日・TBS・テレ朝・東京新聞は、この市民運動家と称する中韓の工作員たちと全く同じで日本人というより、人間性を欠いた血も涙もないサイコパスという外ありません。
◆今度の解散で与党が圧勝し、狂ったパ翼集団民珍党が崩壊したのも天皇陛下の祈りで天照大御神様をはじめ八百万の神がこの国を立て直すために行われたのは間違いありません。つまり日本という神の国はきれいさっぱり大掃除がなされ、これから新しい御代が開くのです。
▼皇統の御稜威は皇太子殿下に、そして悠仁親王に連綿と受け継がれていくんだニャア~

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