憂国の巨星落つ
◆先憂後楽という言葉があります。
「天下の憂えに先んじて憂え、天下の楽しみに後(おくれ)て楽しむ」 国家の安危については人より先に心配し、楽しむのは人より遅れて楽しむこと。 国の指導的立場に立つ人に北宋の忠臣 范仲淹(はんちゅうえん)が述べた言葉と云われています。
◆敗戦で武士道精神を失い、全ての価値観を喪失し腑抜けになった日本人の行方を憂えていた論客西部邁氏が自殺したという。彼は自身にも、日本人にも後楽は見いだせず絶望しか残っていなかったのでしょう。ご冥福をお祈りいたします。
評論家・西部邁さん死去 多摩川で自殺か 78歳、正論執筆メンバー

保守派の論客として知られる評論家の西部邁(すすむ)さん(78)=東京都世田谷区=が21日、死去した。
警視庁田園調布署によると、同日午前6時40分ごろ、東京都大田区田園調布の多摩川河川敷から「川に飛び込んだ人がいる」と110番があった。飛び込んだのは西部さんで、署員らが現場に駆け付け病院に搬送されたが、死亡が確認された。
同署によると、目立った外傷はなく、付近で遺書のような文書が見つかった。自殺を図り、溺死したとみられる。
西部さんは21日未明から行方不明になっていた。同居する家族が探していたところ、多摩川で流されている西部さんを発見し、通報したという。
西部さんは北海道出身。東大経済学部に在学中、全学連中央執行委員として安保闘争に参加し、学生運動の指揮を執った。大学院では経済学を専攻し、横浜国立大や東大などで教鞭(きょうべん)をとる傍ら大衆社会論を軸とした評論活動を開始。「経済倫理学序説」で吉野作造賞、「生まじめな戯れ」でサントリー学芸賞を受賞した。
東大教授時代の昭和63年、助教授の推薦をめぐって教授会で否決されたことに抗議して辞任。以降、テレビの討論番組などに定期的に出演し、晩年は自ら発刊した雑誌を舞台に言論活動を展開した。
正論執筆メンバーで、平成4年には戦後日本でタブー視された改憲論を正面から取り上げるなどの精力的な評論活動により、第8回正論大賞を受賞した。
http://www.sankei.com/life/news/180121/lif1801210033-n1.html
「俺は本当に死ぬつもりなんだぞ」 妻の死から思索深め…
「ウソじゃないぞ。俺は本当に死ぬつもりなんだぞ」-。21日に死去した西部邁さん(78)はここ数年、周囲にそう語っていた。平成26年の妻の死などによって自身の死への思索を深め、著作などでもしばしば言及していた。
昨年12月に刊行された最後の著書「保守の真髄(しんずい)」の中で、西部さんは「自然死と呼ばれているもののほとんどは、実は偽装」だとし、その実態は「病院死」だと指摘。自身は「生の最期を他人に命令されたり弄(いじ)り回されたくない」とし「自裁死」を選択する可能性を示唆していた。
言論人として人気を集めたきっかけは、テレビ朝日の討論番組「朝まで生テレビ!」。「保守」を思想レベルまで引き上げた知性は、左右を問わず多くの知識人の尊敬を集めた。
知人らによると、東京・新宿で、酒を飲みながら知識人らと語り合うのが大好きだった。ケンカや後輩への説教もしばしばだったが、相手を後からなだめたり、後日、電話で酒場に誘ったり。優しさと人なつっこさもあった。たばこもこよなく愛し、「思考の道具」と言ってはばからなかった。
親米の論客からは「反米」と批
判されたが、最大の問題意識は独立の精神を失い、米国頼みになった日本人に向いていた。いつも「今の日本人は…」と憤りを語っていた。
http://www.sankei.com/life/news/180121/lif1801210036-n1.html
能動的、命かけ「保守のための改革」思想継承 左右問わず言論界に厳しい目
21日に死去した評論家の西部邁さん(78)は「保守主義」を掲げ、一貫して国家と個人の自立を問い続けた。
ドイツの実存主義哲学者、カール・ヤスパースが言った「人間は屋根の上に立つ存在」という認識に立ち、人間は綱渡りのように緊張感と平衡感覚を持って生きてゆかなければならないと主張。大切な平衡感覚は歴史と伝統を学ぶことでしか得られないと考えた。
保守というと、維持するものと考える人は多いが、西部さんの保守思想は、いわば能動的で命がけのもので、「保守するためには改革も必要」と述べた英国の政治思想家、エドマンド・バークの思想の真の継承者であった。
東大在学中は、全日本学生自治会総連合(全学連)の幹部として活動し、逮捕・起訴されたこともある。経済思想史に進み、「ソシオ・エコノミックス」「経済倫理学序説」などを刊行。京大名誉教授の佐伯啓思さんら現在、論壇で活動する多くの論客に影響を与えた。
平成に入ってからは、テレビ出演や「新しい歴史教科書をつくる会」への参加など、保守派の代表的な存在として知られるようになった。
だが、言論界には左右を問わず、厳しい目を向けた。安全保障を米国に依存し、経済大国への道を突き進んだ日本のあり方を痛烈に批判。親米の現実路線を取る保守論壇の中心からは離れた存在だった。
自らの言葉に厳しく、論の人である以前に義と侠(きょう)の人だった。
(桑原聡)
http://www.sankei.com/life/news/180121/lif1801210039-n1.html
田原総一朗さん「曖昧なことが大嫌いな人。近く会いたいと思っていた」

ジャーナリストの田原総一朗さんの話「大ショックだ。去年会った時、体調が悪いと言っていたので気にしていた。近く会いたいなと思っていた。彼は非常にラジカルで、物事を非常にちゃんと考える人。曖昧なことが大嫌いだ。日本は、安全保障も経済も、大事な部分を隠して曖昧。そういうことが彼には我慢できなかったのではないか」
http://www.sankei.com/life/news/180121/lif1801210035-n1.html
◆曖昧模糊として、ぬるま湯的な日本政治の行方を危ぶみ、安倍首相に先憂後楽を説く西部ゼミ。東京MXテレビでオンエアされたもので、憲法改正の必然性が分かりやすく説かれています。
安倍元総理の日本国民に訴える【1】 西部ゼミ2012年1月14日放送
◆フェイクニュースだらけのマスゴミと、中朝スパイや工作員が寄り集まったサイコパヨク政党が憲法改正すれば戦争が起きると国民を洗脳し続けて60年。多くの愚民はその嘘に騙され続け、日本は世界でも異例の軍隊を持てない国にされたままです。西部さんは安倍首相の憲法改正に望みを託して後楽の道を選んだのかもしれません。合掌・・・・
▼後楽園とはそういう意味だったんだニャ!

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